- 職場や学校に居心地の悪さを感じ、なじめないと感じている…
- どうしても我慢ができず逃げ出したことがある…
- 嫌いなものはいくらでも思いつくのに、好きなものは言葉にできない…
作品の概要/あらすじ
- 同作品はJ・D・サリンジャーにより1951年に出版された長編小説。1945年12月に原型となる作品「僕はちょっとおかしい/I’m Crazy」が発表され、その後1949年から長編に改変され、1950年秋に完成した。
- 複数の日本語訳が存在し、特に有名なのが1964年出版の野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』と2003年出版の村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』。その他、1952年橋本福夫訳『危険な年齢』(!)や1967年繁尾久訳『ライ麦畑の捕手』などの訳が出版されている。
- 発表後、文壇からは賛否両論があり、また保守層やピューリタン的な道徳的思想を持った人からは激しい非難を受けた。しかし主人公ホールデンと同世代の若者からは圧倒的な人気を誇り、2007年までに全世界で6000万部以上の売り上げを記録。現在でも毎年約50万部が売れているとされる。さまざまな文学・音楽・アニメなどに影響を与えている。
- 主人公の少年ホールデン・コールフィールドが、高校を退学してから数日間、ニューヨークをさ迷い歩く物語。そこで彼は過去を振り返りながらいくつかの出会いを経ていく。
- 作品名の由来は、ホールデンが路上で偶然聞いた歌の歌詞からとられている。「ライ麦畑で誰かが誰かを捕まえたら(If a body catch a body coming through the rye.)」
すれ違いと拒絶の悪循環/果てしない放浪の物語
僕としては、ああもうここともお別れなんだな、という感じがつかみたくて、そのへんでぐずぐずしていただけなんだ。つまりさ、僕はこれまで、どさくさみたいな感じで学校とかいろんな場所をあとにしてきたんだけど、そういうのは正直言ってもううんざりだった。それが悲しい別離であったとしても、いやな感じの別離であったとしても、僕としちゃべつにかまわないんだ。 ただどこかをあとにするときには、自分がそこをあとにするんだということを、いちおう実感しておきたいんだよ。 そうじゃなくっちゃ、救いってものがないじゃないか。
ーJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社
この小説は出版当時からよく「反抗」の物語として語られます。「危険な年齢」?しかし、この物語はもっと普遍性をもっている。しかしここでは「放浪」の物語なのではないかと考えます。それは、~~~だからです。
- アリーの野球ミット
- フィービー
- イエス
- 二人の尼
- 小さな子供たち
- ライ麦畑のキャッチャー
- 博物館
- 素敵な女の子
- オーケストラでティンパニーを叩いているひと
嫌いなもの
- 金持ち学校
- ゲーム
- 母にプレゼントされたスケート靴
- セックス
- 臆病さ
- 十二使途
- 退屈な男たち
- 車やゴルフ
- ファックユーの落書き
反抗と拒絶の違い
悪循環のなかで突き付けられる問い
「君はさ、何かにうんざりしちゃったことってあるかい?」と僕は言った。「つまりさ、ここで何かやっておかないと、すべてが先になってひどいことになっちまうんじゃないかとか思って、 怖くなったりしない? 」
ーJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社
消え失せるという強迫観念/制御できない衝動
で、息を整えるとすぐに204号線を駆けて渡った。道路はしっかり氷結していて、それであやうくすべっちまうとこだった。なんでわざわざ走らなくちゃならないのか、自分でもそのへんはよくわからないけど、たぶんただ走りたかったんじゃないかな。道路を渡りきったとき、なんだか自分がすっと消え失せていくような気分になった。つまりそんな感じのでたらめな午後だったんだよ。やたら寒くって、太陽なんかもぜんぜん顔を見せてなくて、ひとつ通りを渡るごとに、自分がそのまま消え失せていくみたいな気がしちゃうわけだ。
ーJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社
変わらないものへの愛着
でもね、この博物館のいちばんいいところは、なんといってもみんながそこにじっと留まって いるということだ。 誰も動こうとはしない。
ーJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社
平等でわかりあえる理想世界/悪意と断絶に満ちた現実世界
それではこの小説は単なる好き嫌いの小説か、それは違う、好き嫌いから浮かび上がるのは、ホールデンがなにか実現されるべき理想を追い求めていることが見えてくる
「平等でわかりあえる」世界、つまり例えば子どもの世界
ホールデンが求める平等を阻むものが欲望、欲望の世界は弱肉強食の世界、ゲームの世界、一方ホールデンは弱いものしかいない、ゲームにならない、参加することもできない
だから、ここまでくるとこの小説は「大人社会に反抗する」ではなく「欲望から潔癖であろうとする」小説、そうしてどんどんこの欲望世界から遊離していく
平等で配慮に満ちたやさしい世界のまぼろし
二人は朝食にトーストとコーヒーしか とっていなかった。おかげで比較的落ち込んじゃったね。自分がベーコン・エッグズなんかを食 べているときに、ほかの誰かがトーストとコーヒーだけだったりすると、なんかいやな気がするんだよ。
ーJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社
修道女への対応、救いって何?共感や心が通じ合うこと、理解、平等であること、十二使途よりイエス、承認することについて
君もきっと妹のことが気に入る と思うよ。君が何かをしゃべるとするね。するとこの子には君が何を言いたいのか、ぴたっとわ かっちまうんだ。そういうこと。
ーJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社
フィービーという存在=少し現実離れしている天使のような存在?何も言わなくてもわかってくれる(わかってしまう)、小さな母親のような存在、母親ではなく幼児が母親的な役割を果たす、けれどもフィービーは無力、子どもの世界、その逆、母からのプレゼント
相手への理解をはばむ性と暴力への嫌悪
一人の女の子を知るってのは、セックスとは無関係にだってできることなんだ。
ーJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社
女の子たちへの対応、セックスへの嫌悪、相手をモノ化することへの嫌悪、幾人かはの女の子が出てくるが、明確に違う
悪意と断絶の象徴としての「ファック・ユー」の落書き
誰かが壁に「ファック・ユー」って書いていたんだ。それを見て僕はほんとに頭が変になるところだったね。僕は フィービーとか、小さな子どもたちがそれを見て、「これはどういう意味なんだろう?」と首を ひねるところを想像した。それからどっかのいやらしい子どもがそれが何を意味するのか教えち ゃうんだよ。もちろんとことん歪めてということだけどね。おかげでみんなは二日くらいそれについて考えて、あれこれと気に病んだりもしちゃうわけだ。そんな落書きをしたやつを殺してや りたい、と僕はひとしきり考えた。
ーJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社
けれどもそんな世界は訪れず、欲望と悪意の中で引き裂かれた挙げ句、その象徴たる「ファック・ユー」サインを見る
拒絶と放浪の果てに残ったもの
「けっきょく、世の中のすべてが気に入らないのよ」
それを聞いて、僕はさらにぐんぐん落ち込んでしまった。
「そうじゃない。そういうんじゃないんだ。絶対にちがう。まったくもう、なんでそんなことを言うんだよ?」
「まさにそのとおりだからよ。あなたは学校と名のつくものが何もかも気に入らないじゃない。 気に入らないことがごっそり百万個くらいあるじゃない。そのとおりでしょう?」
「そんなことあるもんか! それは言いがかりだ。君の大きな考え違いってもんだ。なんでそんなひどいことを言うんだ?」 やれやれ、僕はこてんぱんに落ち込んだよ。
「なんでもかんでもが気に入らないのよ」とフィービーは言った。 「気に入っているものをひとつでもあげてみなさいよ」
ーJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社
- 選択肢1:隠遁生活について、世の中から逃避して心を閉ざすこと
- 選択肢2:「ファックユー」サインを消していくこと
- 選択肢3:ライ麦畑のキャッチャーになること
なにも残らない美しさ/土砂降りの雨の中で
フィービーがぐ るぐる回り続けているのを見ているとさ、なんだかやみくもに幸福な気持ちになってきたんだよ。 あやうく大声をあげて泣き出してしまうところだった。僕はもう掛け値なしにハッピーな気分だったんだよ。 嘘いつわりなくね。 どうしてだろう、そのへんはわからないな。 ブルーのコートを 着てぐるぐると回り続けているフィービーの姿がやけに心に浸みた、というだけのことかもしれ ない。いやまったく、君にも一目見せたかったよ。
ーJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社
あなただけの役割/私の居場所
で、 僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱ しからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までず っとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。たしかにかなりへんてこだとは思うけど、僕が心からなりたいと思うのはそれくらいだよ。
ーJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社
ホールデンのその先の物語
いつでも好きなときに電話したくなる作家
僕が本当にノックアウトされる本というのは、読み終わったときに、それを書いた作家が僕の大親友で、いつでも好きなときにちょっと電話をかけて話せるような感じだといいのにな、と思わせてくれるような本なんだ。
ーJ・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳 白水社