いのる|ニール・ヤング「Long May You Run(1976)」

日々忙しく暮らしていると、例えば約束の時間に遅れそうになって焦ることはあっても、大きな時間の流れというものを感じることはさほど多くないでしょう。慌ただしい生活の中で、立ち止まってゆっくり周りを見渡す余裕のあるひとは多くないはずです。けれでも、ふと一息ついて自分の来た道を振り返ってみたとき、なにもかもが移り変わっていること、むしろ変わらないものがないことを目の当たりにすると、歳月は平等に流れ、私たちはそれぞれ年老いていくことを感じるのです。多くの場合、悲しみや虚しさを伴って。そんなとき、ひとは「どれだけ時間が流れて、時代が移り変わっても、変わらないもの」を探したくなるのだと思います。

変化を拒むことは出来ないし、むしろ変わっていくことを歓迎すべきなのですが、しかし、時としてその流れに圧倒され、また打ちのめされてしまうこともあるでしょう。特になにかを失ったり、別れを経験したあとには。

そんな流れと変化の中で、「なにか大切な存在」なしに生きていくことは難しいもの。「なにか大切な存在」とは、かならずしも「誰か」であるだけでなく、あるひとにとっては「もの」だったり、また他のひとにとっては「場所」だったりするのでしょう。

今回とりあげる楽曲は、ニール・ヤングが若い頃にともに過ごした今は亡き「愛車」に向けて歌われています。けれども、この歌の不思議な魅力は、今は亡き愛車に向けて歌われているはずのことばが、いつの間にか私たちの「大切な誰か」を差すように変わってくるところなのです。この楽曲は、大切なひとに向けて、「時間の流れを越えて、あなたらしく、どうかどこまでも走り続けられますように」と祈るのような歌なのです。

楽曲の概要

  • 1976年発表のアルバム「太陽への旅路/Long May You Run」冒頭に収められた楽曲。バッファロー・スプリングフィールド(1966-1968)の盟友スティヴン・スティルスとのコラボ「スティルス=ヤング・バンド」名義での発表。
  • 楽曲自体は1973年頃にはニールのライブで歌われている。また、1993年発表の「アンプラグド/Unplugged」でのライブ・ヴァージョンも素晴らしい演奏。
  • 2010年バンクーバー・オリンピックの閉会式では、カナダ代表のミュージシャンとして同楽曲を弾き語りでライブ・パフォーマンスした。燃え上がる炎を背に、降りしきる雪の中同曲を弾き語るニールの姿は何度見ても感動的。

亡き愛車に向けられた歌/トランクいっぱいの思い出たち

We’ve been through
Some things together
With trunks of memories
Still to come
-Neil Young “Long May You Run”

楽曲冒頭から『僕らは一緒に多くを経験してきた』と語り始めるのですが、ここでの「僕ら」とは私と車であることがこの楽曲のおユニークさだと思うのです。悪友というか相棒というか、そんな存在に親しげに語られます。けれども一方で、この愛車が「今はもうない」過去の愛車に向けられているということは、おかしさのなかにも悲しみがにじんでいるのです。

余談ですが、特に独身時代に乗っていた車って、とても愛着がありますよね。とても楽しいことや悲しいことをともに過ごすことになる場所だから、たくさんの鮮やかな記憶の舞台だったりします。そして、そんな車を手放すときの悲しさ、自分の青春時代が一区切りついてしまったような気持ちもわかります。この楽曲においても、車というものは自分の青春時代の象徴であり、かつ、今はもう失われてしまったものという側面もあると思うのです。

Rollin’ down
That empty ocean road
Gettin’ to the surf on time.
-Neil Young “Long May You Run”

『今頃君はビーチ・ボーイズでも聞きながら、サーフィンに間に合うように海岸を走っているんだろう』と今は亡き愛車に語りかける一節にも、自分の青春時代への愛着が感じられますよね。ちなみに、初期のブートレグでは、この一節で観客から笑い声が上がっていました。

しかし、次第にこの楽曲は、ニールの個人的な愛車への思いを越えて普遍的な響きを帯びてくるのです。

あなたへの祈り/変化のなかで、望むように

Long may you run.
Although these changes
Have come
-Neil Young “Long May You Run”

『あなたがずっと走り続けられますように』ここで歌われている「走り続ける」とは、単に肉体的に「健康であること」という意味にとどまらないと思うのです。むしろ、この愛車が既に亡き愛車であることを考えれば、精神的な意味で「望むように生きていける」ことであるように響くのです。つまり、変化のなかで困難さに打ちのめされたり、自分を見失ったりせずに、あなたが望むように走り続けられますようにと祈ることだと思うのです

この数年後に「錆び尽きるよりなら燃え尽きたい」と「Hey,Hey,My,My」で歌い、ロックの大きな変化を肯定した姿を思えば、より一層自然で切実に響きます。

実際、ここで歌われる愛車との青春は、あえて発表当時から既に一昔前といえる描写がなされています。しかし、それはノスタルジックな意図で描かれたのではなく、むしろ変化を越えて走り続けるという意志が強く歌われているように思うのです。あなたがあるべきように走り続けられますように。それは、惰性の日常の中で毎日死んだ目をして通勤するために車を走らせるのではなく、誰もいない海沿いを胸を高鳴らせて走り抜けるためにこそ歌われているのです。

クロムのこころ、黄金のこころ/私とあなたの旅路

With your chrome heart shining
In the sun
Long may you run.
-Neil Young “Long May You Run”

この一節で連想されるのが、ニールの代表曲「孤独の旅路/Heart of Gold」です。ただし、「孤独の旅路」は「私」の決意表明であったが、一方「Long May You Run」では「あなた」への祈りが歌われています。同じように旅路への意志をテーマに描いた楽曲でも、視点が違うことから、私とあなたの旅路が重なり合うように感じられます。自分自身の旅路の決意を述べていた詩人が、同じように大切なひとの旅路の無事を祈るということの暖かさ。

I wanna live, I wanna give
I’ve been a miner for a heart of gold.
It’s these expressions I never give
That keep me searching for a heart of gold
And I’m getting old
-Neil Young “Heart of Gold”

また、自分らしく変わらない心で生きていくということは、絶えず戦い続けることでもあります。その難しさを知っているからこそ、困難な道を、あなたらしく走り続けられますようにという祈りの歌でもあるのです。こうした言葉は、常に変化と向き合い戦い続けてきたニールが歌うからこそ説得力を持つのでしょう。

それに、ニールの歌の中には、「若さと老い」というモチーフが頻繁に登場します。「孤独の旅路」でも「黄金の心を探す、そうして年を取っていく」とうたわれるが、ここでの「年を取る」とはネガティブな意味合いではなく、むしろ探求の果てに輝きを増すものであるはずです。その意味で、この楽曲で歌われる「chrome heart」もまた、年月を経てこそ一層輝くべき心のありようと読めるのです。

変化の中でも、あなたらしく走り続けられますように、そんなおおらかな祈りに満ちた楽曲なのです。

変わりゆくものと変わらないもの/ニール・ヤングという灯台

そもそもニール・ヤングの長いキャリアを振り返ると、スタイルの変遷がとても激しいアーティストだとわかる。ロカビリーやテクノ、果てはノイズ・ミュージックを通り過ぎて、もしかすると「ニールこそ時代に迎合しているアーティストなのでは?」と思う方もいるかもしれない。けれども、どれほどスタイルを変えようともニールがなにに怒っていて、何に憧れているのかは全くぶれていないと言えます。このぶれなさ、変わらなさに憧れるとともに、いつも変わらないでいてくれるニールの姿に安心するのです。

そしてこの姿は、同じようにスタイルを変え続けるディランとも少し違うように思います。ディランは作品ごとに、まるで演技のようにディラン自身が変化していきます。私はディランには何を考えているのかよくわからない魅力がある一方、ニールにはなにもかも分かる魅力があるように思うのです。

いずれにせよ、この曲を聞くたび、大切なものとともに走り続けられることに感謝するとともに、ニールという偉大な詩人と同じ時代を過ごせていることへの感謝を感じるのです。そしてこの歌を聴いていると、誰かのために祈ることができるということの美しさに気付かされるのです。

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